鈴木梅太郎とオリザニン
今回は鈴木梅太郎とオリザニン、つまりビタミンの発見について解説していきます。
前回の記事ではビタミンB1と日露戦争について解説していますので、そちらもご覧ください。
作者である私はサプリメントの製造者です。 レシピの設計から販売まで全て行います。 他業界から来た分、この業界の闇を感じる 部分があり正しい情報の発信者になる事を 決めました。サプリメント製造の為に得た 専門知識を元に正直ベースで解説します。
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ビタミン不足による死者
前回の記事では
日露戦争機関における脚気が原因の死者数を紹介しました。
約3万人もの人が命を落としました。
脚気が原因でです。
脚気はビタミンB1が不足すると起こります。
つまりビタミン不足で戦争中に3万人もの人が無くなったのです。
こう思いかねない状況ですよね。
たかがビタミンなんてその辺のドラッグストアでも買えるのに…
これは当時の軍医である森林太郎(森鷗外)が
脚気を感染症だと勘違いしてしまった事によって更に死者数が増えたと言われています。(ただのビタミン不足なのに…)
しかし森鴎外を責めないであげて下さい。ビタミン不足と言えば簡単に聞こえるけど、そもそもビタミンって発見されたのいつだと思いますか?
ビタミン発見の歴史
ビタミンが発見されたのはいつか。これ、実は1910年なんです。
1910年、つまり約100年前です。
言い換えると、ビタミンの歴史的発見からまだ100年しか経っていないんです!
それまでの人々はビタミンという概念無しで生活していたというわけです。恐ろしいです。
鈴木梅太郎がオリザニンを発見
1910年
鈴木梅太郎という人が米ぬかから面白い成分を発見しました。
米ぬかとはつまり玄米の表面部分、白米にする時に削られて捨てられる部分ですね。ここに脚気にも聞くほどの凄い成分が含まれているぞ!と発見したのがオリザニンです。
いや、ビタミンじゃないんか~い
いえいえ、これは物凄い発見です。
何故ならこのオリザニンというのがビタミンの事です。
オリザニン=ビタミン
これは凄いです。
何と世界初のビタミン発見者は日本人である鈴木梅太郎です。これは世界に誇る偉業です。
でも鈴木梅太郎は世界的にそんなに有名?
それがそんな事が無いんですよね。
鈴木梅太郎はその名を世界にとどろかせる研究者!とはなりませんでした…
何故かというと梅太郎は英語での論文が書けなかったので、このオリザニンが世界に広まる事は無かったのです。
フンクがビタミンを発見
そうこうしている内にポーランドのフンクという科学者が全く同じ成分を発見します。
それがビタミンです。鈴木梅太郎はそれよりも前に全く同じ成分を発見していましたが、それを世界に広める事は出来ませんでした。しかしフンクはしっかりと世界中にビタミンの存在を広める事に成功したというわけです。惜しいっ!
当たり前の存在ビタミン
日露戦争が終わったのは1905年ですよね?それから5年も経ってやっと人類はビタミンの存在に辿り着いたわけです。ビタミンB₁なんて今となっては普通に生活してたら不足しないし、足りなくなってもサプリでパーン!です。ただ当時としては特効薬にも近い革命的な発見だったんですね。
たった100年やそこらの話ですよ。只今西暦2021年ですが、最初の1910年間はビタミンという明確な存在なしで人々は生活していたわけです。それを考えると現代社会ってありがたいですよね。結構色々な不調に対して
あ、この症状ならこの成分が不足してるね
みたいにピンポイントで摂取出来ますもんね。ストレス社会と言われますけど悪いことばかりではないんです。せっかくここまで栄養成分が解明されているので知っておいた方が得ですよね!
ということで今回はここまでにしておきましょう。
このヨネキチ健康学では普段なかなか知る機会のない栄養成分や健康の雑学に関して解説しています。
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